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ことの外に立つ


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ことの外に立つ

【方谷の教えた帝王学】

板倉勝静が松山藩に迎えられ、その教育係に付いたのが藩校有終館の学頭だった方谷であった。勝静に対する方谷の教育態度は当時の常識では考えられないほど厳しい物だったという。
そんな方谷が一貫して勝静に教えた帝王学とは「事の外に立つ」と言うことだった。

「政治も経済も事の内に屈してはならない、藩の財政が窮するのも、理財をはかる物がことごとく財の内に屈しているから、姿勢を正し、心を引き締め、文武をはかり治国の大方針を確立することこそ第1義である。」

餓死が迫っている、経済的な危機が目の前に迫っている、そんな時はみなそれぞれ異口同音に「必要なのは金・・こんな時に綱紀などといっている場合ではない、緊急事態だ!」と言う。

しかし、現在の平成の大不況にあって、政府が幾ら緊急の経済対策をとっても自体はいっこうに改善しようとしない、むしろ使える金は先細りの一途をたどっている。

方谷の言う「事の外に立つ」とは、小手先の対応でその場をしのいだところで、何の解決にもならない、綱紀を整え政令を明らかにするのが義であり、餓死から逃れようと財貨を求めあがくのが利である。抜本的な方針を整え戦略を実行し、義をあきらかにすれば、かならず利もついてくる、ということであった。