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大塩平八郎


大塩平八郎
【おおしおへいはちろう】

1793〜1837

江戸後期の儒学者(陽明学者)。寛政5年に生まれる。号は中齋。はじめ江戸の林家に入門、朱子学を学んだが、のち陽明学に転向し、高い学徳を身につけた。27歳の時、大坂町奉行配下の与力から吟味役となり裁断に敏腕をふるった。

37歳の時に役を退き、洗心洞という家塾を開き、講書著作に専念した。天保8年の天保飢饉の時、奉行や富豪が救済手段を講じないのを怒り、2月大坂町奉行に上書したが省みられないので、ついに武力によって窮民を救済しようと心に決め、自分の蔵書を売却してその金を窮民一万名に与えるとともに、檄文を摂津・河内・和泉・播磨の4国に配布して2月19日、同志数十名とともに大坂の富豪宅に放火し、略奪を開始した。

しかし奉行の手勢に敗れ、わずか1日にして鎮圧され、平八郎は自害した。享年44歳。

-幕末辞典-