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  • 王陽明 抜本塞源論とは - 陽明学者の起こした代表的な事件では、1837年に大坂の与力「大塩平八郎」の起こした「大塩平八郎の乱」がよく知られている。この事件は天保の大飢饉(1836年)により米不足に陥った大坂で、私腹を肥やす豪商達に業を煮やした大塩は門下生と近郷の農民に檄文を回し、金一朱とひきかえる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。しかし、内部に離反者がでたため大塩は準備不足のまま決起し大坂町民ら300名と「救民」の旗を揚げて戦いましたがわずか半日で鎮圧、大塩は40日間潜伏の後自決した。
  • 大塩平八郎の乱 - 大塩平八郎の乱
  • 天保の改革 - 天保のききん・大塩平八郎の乱・日本近海に出現する外国船など,社会不安の高まるなかで老中となった水野忠邦は,享保・寛政の改革にならって天保の改革を実施した。
  • 天保の飢饉 - 1833年から36年の全国的な大飢饉。米価の騰貴、農村の荒廃ははなはだしく、各地で一揆・打ちこわしが続発し、37年大塩平八郎の乱が起き幕府の動揺が深まった。
  • 陽明学とはどんな物? - 幕末での陽明学の信奉者として、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山が歴史上おり、革命運動(大塩平八郎 --大塩平八郎の乱 )に呈する者が多かったのは事実である。一方、陽明学の造詣の深さで、佐久間象山と対比される備中松山藩の山田方谷(儒者)は、瀕死の藩財政を見事、建て直した。それは、現在の企業再生の手法がそのまま使える内容であり、近年、その功績が見直しされてきた。