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王陽明 抜本塞源論とは


王陽明 抜本塞源論とは

方谷や河井継之助を研究していると必ず耳にする学問、それが陽明学、激動の幕末の時代、彼らを突き動かした原動力になった思想であり、現代でも実践哲学といわれ多くの政治家などが日夜研究に励んでいる。

この陽明学、不思議なことに志した者は、一部を例外として、ほとんどが悲劇的な死を迎えている。

陽明学者の起こした代表的な事件では、1837年に大坂の与力「大塩平八郎」の起こした「大塩平八郎の乱」がよく知られている。この事件は天保の大飢饉(1836年)により米不足に陥った大坂で、私腹を肥やす豪商達に業を煮やした大塩は門下生と近郷の農民に檄文を回し、金一朱とひきかえる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。しかし、内部に離反者がでたため大塩は準備不足のまま決起し大坂町民ら300名と「救民」の旗を揚げて戦いましたがわずか半日で鎮圧、大塩は40日間潜伏の後自決した。

この陽明学という学問、不思議なことに志した者は、一部を例外として、そのほとんどが悲劇的な死を迎えている。

山田方谷マニアックスでは岡田武彦氏の著書・「警世の明文 王陽明抜本塞源論」より方谷や継之助が自分たちの行動の基礎とした「陽明学」とその創始者「王陽明」について研究してゆきたいと思いる。

まず王陽明の抜本塞源論とはなんぞや?というところからひもといてゆくと、王陽明曰く

「人間の心には天地万物一体の仁、すなわち天地万物をわが身と同体であるとする仁徳があり、これに従えば、世の人々はわが親子兄弟と同じ骨肉の情愛で結ばれる。しかも、この仁徳は誰でも生まれつき持っているので、人々がみな同じくこの仁徳を持ち、わが才能力量に応じて働くようにすれば、人々は功利の念に一切汚染されないようになって、和気あいあいとした理想的な社会生活を送ることができるであろう。これは一見至難のように思われるかも知れないが、幸いなことに、人間はまた、生まれ一つきこれを知覚する良知を持っているから、それを大いに発揮すればよいのである」

言い換えると、

人間とは弱い者で多くの人々は人間本来の心を失い功利の念に駆られ、私利私欲に走る、この功利の念は人々の心中に深く根を張っていて、これを除去することは容易ではないように思われている。しかし本来人間は誰でも生まれつき心の中に「善」と「悪」を判断する能力が備わっている、そして人間は、生まれたときから心と体(理)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。 その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致し、誰でも物事の本質を見ることができる。

という考え方を「抜本塞源論」はベースにしている。