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方谷の陽明学

方谷が江戸の佐藤一斎蟄で当時の俊英達と切礒琢磨していたころ、学友違が王陽明の学説に口を借りていたずらに雄弁をふるって人を圧倒するのが見られたが、しかし細かにその人物を観祭すると、高慢不遜で人間の道をわきまえた者が少ない。方谷はこれは陽明学の学び方が間違っているのであると言っている。

方谷は王陽明の学問は「誠意」を主とするという。その「誠意」の本体を知るには、「良知」を常に明らかにしておかなければならない。「良知」とは人間が生れながらにして固有しているところの是非善悪を判別する心を指す。

王陽明は人の心を明鏡にたとえることがよくあるが、明らかで曇りのない鏡面が万物を正しく写すように、人もこのような曇りのない鏡面を胸の内に特っているのであって、この心の鏡に曇りさえなければ、善いことは善いと判別し、悪いことは悪いと判別できる。このような心の状態に人の心を常に保たなけれぽならない、つまり「良知」を常に明らかにしておかなけれぱならない。

このような心の状態は、天理そのものと合致した心の境地である。人間は本来このように霊明ち心を固有している。問題はこの「良知」を会得する方法である。

王陽明はこのことについて、学問の肝要なことを述べ、学間の最も大切な点を明らかにして、それを示しているのであるが、世の陽明学を主唱する人は口で陽明学の学説を唱えをがら実践を忘れている。

方谷は「良知」によらなければ「誠意」の本体はわからず、一方「格物」によらなければ「誠意」の案践はできないとのべ、この「良知」と「格物」との二つが並び進んではじめて実際のものとなるとのべている。「格」とは「正しくする」という意味であり、「物」とは「物事」のことであって一つの事柄一つの行為が「物」である。それを正しくするのが「格物」ということである。

我々が仕事を行う上で心の鏡に曇りのないように実践し努力しなければならない。そのことを「格物」というのである。この「格物」という実践努力によって「誠意」が達成される。この「誠意」ということを学問の中心にすえるのが、方谷の主張するところであり、方谷の陽明学である。



参考資料
「山田方谷に学ぶ行政改革と人材育成」より引用




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