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最初の師匠・丸川松隠ってどんな人物?


最初の師匠・丸川松隠ってどんな人物?

方谷は5歳の時、隣の藩(新見藩)の儒学者・丸川松隠のもとに入門しました。

歴史的にはあまり知られていない名ですが、方谷は丸川を生涯の師として仰ぎつづけました。

丸川松隠は幕府昌平黌の学頭として知られる佐藤一斎と大坂の竹井竹山塾で肩を並べて学ぶ同門人で、この頃、老中松平定信は優秀な才能を発掘して昌平黌の学官に登用しようと人材を捜していました。そこに浮き上がってきたのが他でもない丸川松隠でした。しかし丸川はこの老中直々の要請に対し「私は新見藩の人間であり、新見藩以外で養ってもらう気はない。」と竹井を通し断ってしまいました。

その後丸川は、自らの言葉のとおり新見藩に帰り、一生を新見藩に捧げました。

また、若い頃の丸川は、父が留守中に発狂してしまった母を13歳の時から18年間にわたりひたすら看病し続けた親孝行者としても知られます。

丸川の没後、彼の碑文はもと同門の佐藤一斎により書かれました。

一方、5才で丸川のもとに預けられた方谷にとっては、丸川は尊敬すべき師匠であると同時におじいちゃんか父親の様な存在であり、丸川も又方谷を孫のようにかわいがりました。

方谷の母・梶の死後、父五郎吉は、方谷に学問をやめて家に帰り家業を手伝うよう言いましたが、丸川は五郎吉と対峙し、方谷に学問を続けさせるよう五郎吉を説得し続けました。また、母を失い自暴自棄になる方谷を優しく支えたのも師匠・丸川松隠でした。