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熊田恰


熊田恰
【くまたあたか】

(1825〜1868)

備中松山藩士、名は短芳。恰は通称。備中松山城下本丁(現高梁市川端町)に生まれる。
有終館で学び、新影流の師範であった父武兵衛のもとで剣術を修めた。慶応四年(一八六八)鳥羽伏見の戦の時、藩主勝静の親衛隊長として大阪詰めで活躍した。戦いの後、勝静から帰藩を命じられ、玉島(現倉敷市玉島)まで帰ったが、ここで岡山藩の征討をうけ、配下一五〇余名の助命を請い、自刃した。

-幕末辞典-