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井伊直弼


井伊直弼
【いいなおすけ】

文化12年(1815年)〜万延元年(1860年)

近江国彦根藩(現滋賀県彦根市)の13代藩主で、幕府大老にも任ぜられた人物です。文化12年(1815年)に11代藩主直中(なおなか)の十四男として生まれました。その後、兄直亮(なおあき)の死去により嘉永3年(1850年)に藩主となり掃部頭(かもんのかみ)を称しました。

その後、日米修好通商条約をはじめとする安政の五か国条約に、朝廷の勅許を得ないで調印を断行し、江戸幕府13代将軍家定の継嗣問題では、徳川慶福(よしとみ)を14代将軍に決定しました。また、この際、反対派であった一橋派・尊王攘夷派を弾圧(安政の大獄)するなど、辣腕をふるいました。安政5年(1858年)4月には大老に就任しましたが、万延元年(1860年)3月3日に江戸城桜田門外で水戸・薩摩藩浪士に暗殺され、46年の生涯を終えました。

彦根藩と佐野の関係は、彦根藩35万石の領地のうち、飛び地として1万7千石余が現在の佐野市・田沼町にあったことによります。

また、直弼自身は、嘉永6年(1853年)3月に日光東照宮への社参の帰路に佐野領の巡見を行い、孝行者・奇特者の表彰や領内の弊政を改めるなどしています。佐野市堀米町の天応寺(てんのうじ)には、井伊家の墓碑3基(直孝、直澄、直弼、市指定文化財)があり、それぞれ遺髪が納められているといわれています。