!!!陽明学とはどんな物? 陽明学(ようめいがく)とは、中国の明時代に、王陽明がおこした学問で儒教の一派。心即理、知行合一、致良知の言葉に思想が凝縮されている。 !!中国における展開 そもそも陽明学の起こりは、朱子による性善説の解釈と、陸象山の性善説の解釈の違いから起こるものであり、王陽明はそれを陸象山の考え(これを心即理説という)を引き継ぎ発展させたものである。 !!日本における展開 日本に伝わった朱子学の普遍的秩序志向は体制を形作る治世者に好まれた。逆に陽明学には個人道徳の問題に偏重する傾向があり、王陽明の意図に反して反体制的な理論が生まれたため、体制を反発する者が好む場合が多かった。自己の正義感に囚われて革命運動に呈する者も陽明学徒に多い。ただし、これは陽明学を学ぶと革命志向になるのか、元々革命志向な者が陽明学に吸い寄せられたのか、意見のわかれる所である。中国の革命運動が今文公羊学に影響を受けているとすれば、日本の革命運動は陽明学に影響を受けているといえる。 幕末での陽明学の信奉者として、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山が歴史上おり、革命運動(大塩平八郎 --大塩平八郎の乱 )に呈する者が多かったのは事実である。一方、陽明学の造詣の深さで、佐久間象山と対比される備中松山藩の山田方谷(儒者)は、瀕死の藩財政を見事、建て直した。それは、現在の企業再生の手法がそのまま使える内容であり、近年、その功績が見直しされてきた。 陽明学は、致良知の言葉から、自らの心に問いて、自らの心が納得できるように、良知を致せ、と説いている。また、知行合一の言葉から、静坐など実践を重視することを説いている。よって、自らの心の持ちようにより革命運動に呈しやすい面があるという意見がある。 1945年の玉音放送の原文は、陽明学者によるが、本人達の反対にも拘わらず、放送は責任の所在をはっきりしない内容に書き直された。 なお、現在に置いては皮肉なことに、陽明学は、ビジネス書の分野で、企業の忠誠心を養う人間学なるもののベースとして扱われている。すなわち革命的要素は失われ、体制派の秩序思想となった。代表的な人物は、安岡正篤である。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E5%AD%A6 !!!【心即理】しんそくり 陽明学の主要命題の一。心と理(道徳的準則)とを二分して考えない陽明学で、心の本来のあり方が理に合致している、心を離れては理が存在しないという二つの観点から、心を理に合致せしめよ、心の外に理を求めるな、と主張したもの。 !!!【致良知】ちりょうち ―りやうち 2 陽明学の主要命題。人間の先天的道徳的知覚力・判断力を発揮せよという説。良知を致す。 !!!【良知】りょうち 〔孟子(尽心上)〕人が生まれつきもっている判断能力。 ――を致(いた)す 「致良知(ちりようち)」を訓読みした語。 !!!【知行合一説】ちこうごういつせつ 陽明学の実践重視の立場を示す説。朱子学の先知後行説が認識を実践よりも優先重視するのに対して、真の認識は実践を通じて獲得されるという見地から認識と実践を一致させる必要を説く。 !!!【無善無悪説】むぜんむあくせつ 陽明学左派(王学左派)の唱えた学説。心の本性は善悪という道徳的分別を超越しているとする。明末における欲望肯定の理論的根拠となった。 →王学左派 !!!【格物】かくぶつ 〔大学「致レ知在レ格レ物。物レ格而后知至」より〕宋代以降の儒学で主体の陶冶方法として特に注目された概念。朱子学では「物にいたる」と読み、個々の事物の理を究明してその極に至ろうとすること。窮理。陽明学では「物をただす」と読み、対象に向かう心の働きを正しく発揮すること。