!!!方谷のとった藩財政の分析方法とは? 当時の予算の管理にはおもに「大福帳」が使われていた。大福帳による管理は、時系列で収入や支出を書き並べているだけの物で、現在で言うところの現金出納帳のような物だった。なので金の過不足はすぐに把握することが出来る。勘定方は大福帳を見て、金が足りていれば順調、金が足りなければ借金という程度の判断しかしていなかった。 方谷は藩政改革をするにあたり、まず藩財政の現状を把握するために、会計帳簿の現状把握に努めた。まずは大福帳に記載された収支を一度解体し、項目をを収入、支出に分け、さらにそれを項目別に分けるという現在の簿記のような方法を使いまとめなおした。 この作業は元締役拝命からすぐに取りかかったにもかかわらず3ヶ月もの時間を要した。方谷は大福帳の1ページずつ、1行ずつをを検証し項目分類を何処に組み入れるかを吟味しつつ慎重に作業を進めた。 3ヶ月後、方谷は洗い直した財政表をとして全集1176ページとなる「藩財ノ収支」に整理し、さらにこれを元に「元締奉職当初財政収支大計」という上申を書いた。 福沢諭吉によって日本に紹介された「簿記法」だが、方谷はそれより前にすでに簿記を実践していた最初の日本人だった。