方谷が結婚したのは文政4年(1821)17才の時でした。 相手は新見藩士の若原氏の娘で名前を「進」といいます。 一つ年下の16才で、方谷の恩師である丸川松隠の下隣りに住んでいました。。 今となっては17才で結婚というのはかなりませているようにも思いますが、当時としては平均的な年齢です。 ちなみに、方谷の父が死去したのが2年前の1819年7月、その後の方谷は師匠の丸川松隠の元をはなれ、父の代わりに働いていた叔父の辰蔵に製油業の”いろは”を教わり、家業を継ぎ馴れない商いに奔走するというめまぐるしい時間の中に投げ出されました。 ベテランの父五郎吉までもが、梶の死後、仕事の人手不足を解消するためすぐに後妻の近を迎えたことからも解るように、山田家の製油業は相当にハードなもので、方谷であっても一人で仕事するのは相当に過酷な物でした。 ともすると日々の生活に追われ「治国平天下」という夢を諦めそうになったかもしれない17才の方谷を精神的・肉体的に支えたのが進だったのでしょう。