服部犀渓 【はっとりさいけい】 (1837〜1898) 備中松山藩士。漢学者。名は義憲。通称は陽輔。犀渓は号。藩校有終館で学び、山田方谷に従学した。鎌田玄渓、進鴻渓とともに方谷門下の高弟として有名な三渓の一人であった。 有終館教授や農兵頭などを歴任した。明治維新後の明治七年(一八七四)に山田方谷の推薦で久米南条郡大戸下村(現橿原町大戸)にあった知本館の教督として教えた。 -幕末辞典-