!!!板倉勝静の就任した奏者番とはどんな役職? 1851年6月 板倉勝静は幕府の「奏者番」に任命された。 奏者番とは年始・五節句などに将軍に謁する大名の取り次ぎをしたり、御三家や大名から上意を伝えるために派遣された使いをつとめるための役職であり、幕府の要職につくための登竜門的な位置づけがあった。このころ幕府で出世するためにはまず「奏者番」となり、その中から選ばれる「寺社奉行」を兼務する、寺社奉行に任命されさえすればその後、「京都所司代」などを経て幕府の老中なれるとが通常の出世ルートであった。 寺社奉行になるためには幕府の奏者番に任命された上、かつ一万石以上の譜代大名であることが条件であったが、この条件に添っている大名たちは先を争い、重要職である「寺社奉行」への就任を巡り「お手入れ合戦(賄賂)」を繰り広げていた。