!!!山田家が没落していた訳は? 方谷が生まれる66年前、山田家を大きな不幸が襲いました。 山田家は当時、西方村の長百姓であり、蔵屋という屋号で造り酒屋を営んでおり裕福でした。 しかしある事件のため、鎌倉時代末期から、土地の名士として聞こえてきた家も全財産も没収され、戸籍を失い、追放になるという処分をおいます。そして方谷の祖父母はこの後20年にわたり流浪の生活を送りました。 その事件とは。 中井町に山田家が室町時代に建設したと言われる山田家の菩提寺・定光寺という寺があります。 方谷の生まれる66年前、定光寺の住職・晦翁霊明は山田家当主・宗左衛門の許可を得ないまま嫡子・群次郎を剃髪して僧にしてしまいました。 之に激怒した宗左衛門は晦翁霊明を斬り殺し、その場で腹を切って自刃したといいます。 宗左衛門は事件に先立ち家族に遺書をしたためていました。 その遺書の文字には一点の曇りもなく、ひょうひょうと冴えた文章であり、山田家に脈々と流れる肝の据わった堂々たる気質を読み取ることが出来るといわれています。