佐藤一斎は幕末の儒学者で、著書「言志四録」は幕末から明治にかけて多くの日本人に大きな影響を与えました。 方谷が佐藤一斎塾に弟子入りした頃、一斎は既に幕府の官学「昌平坂学問所」の塾長を努め、儒学の最高権威として認められていました。 一斎は幕府の手前官学の朱子学を標榜しましたが、信じるところが陽明学であったことから仲間内では陽朱陰王の学風などと評され、その学識は陽明学においても当代一流で、「東の一斎、西の大塩」と称される第一人者でした。 まもなく佐藤一斎塾の学頭となった方谷に対して、やはりそのころ塾生となった佐久間象山が連夜に及び論争を挑みました。 毎夜の議論に困った塾生達が一斎に説諭してほしいと申し出ましたが、一斎は「あの二人なら我慢せい」といって取り合わなかったという逸話があります。 一斎は学者としてだけではなく、教育者としても、哲人としてもスケールの大きい人物で、線が太く包容力の大きな人物でした。 ---- writer 尾関厨斎