丸川松隠 【まるかわしょういん】 漢学者。名は茂延、字は千秋、松隠はその号である。浅口郡西阿知村(現在倉敷市西阿知町)に生まれる。寛政元年(1789)大坂の中井竹山の門に入る。老中松平定信が竹山を介して召そうとしたが辞退する。寛政6年(1794)、新見藩主関長誠に招かれて藩学思誠館の督学教授となり、学制を改革し、学規を定めた。享和3年(1803)藩政に参与し、「型典」を著して藩政を改革した。門下生に山田方谷がいる。 -幕末辞典-