鎌田玄渓 【かまたげんけい】 (1818〜1892) 備中松山藩士。漢学者。下道郡新本村(現総社市新本)に生まれる。天保一四年(一八四三)には玉島に家塾を開き、この時、川田甕江らが入門している。嘉永六年(一八五三)松山藩が玉島に郷校を設けた時、この教授に 任命された。慶応二年(一八六六)には藩校.有終館の督学となり備中松山に住んだ。廃藩後は隠居して再び世に出ることはなかった。 -幕末辞典-