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  • 奥羽越列藩同盟 - 1868年5月戊辰戦争で、奥羽・北越の諸藩が結んだ反政府軍事同盟
  • 河井継之助 - 幕末の長岡藩家老。名は秋義。号は蒼竜窟。佐久間象山・古賀謹堂に学び、開国論を唱える。戊辰戦争では中立をはかったが、官軍が認めず、長岡城の激戦で重傷を負い、死亡。
  • 河井継之助関連本 - 第1章 戊辰戦争前後/第2章 書生時代/第3章 藩政時代/第4章 西洋への憧憬/第5章 北越戦争/第6章 維新の総括/第7章 論考
  • 奇兵隊 - その後も鳥羽・伏見の戦いより戊辰戦争にかけても主力として参戦し、函館五稜郭の戦いまで活躍しました。
  • 小林虎三郎 - 戊辰戦争に敗れ焼け野原となった長岡で、「国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。
  • 松代藩 - 明治維新の際、当藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、戊辰戦争には新政府軍に参加した。
  • 進鴻渓 - 備中松山藩士。漢学者。名は漸。通称は昌一,郎。鴻渓は号。阿賀郡唐松村(現新見市唐松)に生まれる。一八歳の時、山田方谷に師事した。弘化四年(一八四七)に藩校有終館学頭となった。その後、撫育銀方総裁兼農兵頭など歴任した。慶応四年(一八六八)戊辰戦争の後には藩存続のため尽力した。明治維新後は世事砂ら離れ、教育に専心し多くの人物を育てた。
  • 赤報隊 - 戊辰戦争時の官軍先鋒隊の一。三隊編制で、一番隊は相楽(さがら)総三を隊長とし、年貢半減を布告しつつ中山道を東進したが、総督府から偽官軍とされ、1868年3月、相楽らは信濃国下諏訪で斬られた。
  • 川田甕江 - 方谷に学問を学んだ甕江は、すぐに頭角を著して門人としては新参ながら江戸藩邸の教授を任されて三島中洲とともに方谷門人の筆頭として扱われるようになった。だが、戊辰戦争では藩主板倉勝静が老中の一人として幕府軍に捕まったために備中松山藩は「朝敵」とされてしまう。甕江は藩兵を密かに備中に引き揚げさせる工作に行っていたが、岡山藩による備中松山占領の方が早く、岡山藩の要求によって藩兵の隊長であった重臣熊田怡が責任を取って切腹させる代わりに他の藩士の罪を免除させるという事になり、甕江が切腹の目付役を務める事になった。その後、方谷の命に従って江戸で出家させる予定であった板倉勝弼の藩主擁立、蝦夷地まで逃れた勝静の捜索などを行い、高齢の方谷に代わって三島中洲とともに藩の存続に尽力した。
  • 大村益次郎 - (1824-1869) 陸軍の創立者。周防(すおう)の人。一時、村田蔵六と称した。適塾で蘭学を修め医師となる。のち長州藩で兵学を講じ、戊辰戦争では官軍を指揮して彰義隊を討伐。1869年(明治2)兵部大輔となり、兵制の近代化に尽力したが、同年守旧派に襲われ死去。
  • 板倉勝静 - 15代将軍・徳川慶喜から厚い信任を受け、会計総裁に選任される。そして幕政改革に取り組む一方で、大政奉還の実現にも尽力した。その後、戊辰戦争が起きると同じく老中であった小笠原長行と共に奥羽越列藩同盟の参謀となって新政府軍と五稜郭まで戦った。
  • 米百俵の由来 - 幕末維新の風雲は、戊辰戦争で長岡城下にも及んだ。
  • 戊辰戦争 - 戊辰戦争
  • 幕末辞典 - 戊辰戦争
  • 明治維新 - 一九世紀後半、江戸幕藩体制を崩壊させ、中央集権統一国家の建設と日本資本主義形成の起点となった政治的・社会的変革の過程。始期あるいは終期をめぐって諸説があるが、狭義には、1866年の薩長連合に始まり、67年の大政奉還・王政復古宣言、68年の戊辰戦争を経て明治政府の成立に至る政権交代とそれに起因する諸政治改革をいう。