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- 征韓論 -
1873年(明治6)、西郷隆盛・板垣退助らが朝鮮の排日的鎖国主義を名目として、これを討つことを主張した論。同年欧米視察から戻った岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らは内治優先を唱えてこれを退けた。以後征韓派は下野し、士族反乱や自由民権運動を展開する。
- 板垣退助 - 板垣退助
- 幕末辞典 -
板垣退助
- 木戸孝允 -
同8(1875)年2月、大久保と板垣退助の間を斡旋する大阪会議を開き、将来の立憲制採用を協議して政府に復帰したが、大久保主導体制に不満を漏らすことが多く孤立しがちであった。同年3月参議に復帰し、6月の第1回地方官会議の議長となり、また元老院章程草案作成に参加した。