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- 佐賀の乱 -
1874年(明治7)征韓論を主張して下野した江藤新平と、島義勇(よしたけ)ら不平士族が佐賀に挙兵した事件。まもなく政府軍に敗れ、江藤・島らは梟首(きようしゆ)に処せられた。
- 征韓論 - 征韓論
- 西郷隆盛 -
維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西南戦争に敗れて城山で自刃。
- 西南戦争 -
1877年(明治10)、西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱。征韓論により下野した西郷は帰郷して私学校を興したが、その生徒が西郷を擁して挙兵、熊本鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷らの指導者は多く自刃した。明治初年の士族反乱のうち最大で最後のもの。以後の反政府運動の中心は自由民権運動に移る。西南の役。
- 日本の陽明学者 -
(1827-1877) 維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西南戦争に敗れて城山で自刃。
- 板垣退助 -
政治家。土佐の人。討幕運動に参加。維新後参議となったが、征韓論を主張し、敗れて下野。民撰議院設立建白書を提出するなど自由民権運動を指導し、1881年(明治14)自由党を結成。第二次伊藤内閣・第一次大隈内閣の内相。
- 幕末辞典 -
征韓論
- 木戸孝允 -
同2年正月の薩長土肥四藩主の版籍奉還建白の実現には中心的役割を演じたが、この前後、国家統一の政略として征韓論を主張した。