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- 原田亀太郎 -
勤王の志士。名は広。通称ははじめ亀太郎、一作とも称す。煙草商原田市十郎の長男として備中松山城下に生まれる。幼時から読書を好み、はじめ藩儒進鴻渓に学び、1854年(安政1)江戸に出て岸淵蔵に入門。ついで備中倉敷に在住の森田節斎に学び、大義名分に通じた。
- 原田亀太郎とは誰? -
亀太郎は天保9年8月に松山藩城下新町の煙草商原田市十郎の長男としてうまれた。幼時から読書を好み、幼いうちは進鴻渓の門に学んだ、安政1年(1854年)には江戸に遊学にでて岸淵蔵に入門、ついで備中倉敷に在住の森田節斎に学び、大義名分に通じた。
- 進鴻渓 - 進鴻渓
- 服部犀渓 -
備中松山藩士。漢学者。名は義憲。通称は陽輔。犀渓は号。藩校有終館で学び、山田方谷に従学した。鎌田玄渓、進鴻渓とともに方谷門下の高弟として有名な三渓の一人であった。
- 幕末辞典 -
進鴻渓