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  • 山田方谷に関する100の質問 - +板倉勝静が奏者番兼寺社奉行になれたのは何故?
  • 寺社奉行 - 寺社奉行
  • 水野忠邦 - 江戸後期の老中。唐津藩主から浜松藩主に転じ、寺社奉行・大坂城代・京都所司代などを歴任。1834年老中となり、天保の改革を断行したが、失敗して退いた。
  • 板倉勝静 - 幼名は寧八郎・万之進、号は庫山のち松叟。天保13年(1842)板倉勝職の養嗣子となり、嘉永2年(1849)藩主となる。安政4年(1857)寺社奉行となる。安政の大獄で寛典を主張し大老井伊直弼により奏者番兼寺社奉行を罷免される。
  • 板倉勝静の就任した奏者番とはどんな役職? - 奏者番とは年始・五節句などに将軍に謁する大名の取り次ぎをしたり、御三家や大名から上意を伝えるために派遣された使いをつとめるための役職であり、幕府の要職につくための登竜門的な位置づけがあった。このころ幕府で出世するためにはまず「奏者番」となり、その中から選ばれる「寺社奉行」を兼務する、寺社奉行に任命されさえすればその後、「京都所司代」などを経て幕府の老中なれるとが通常の出世ルートであった。
  • 幕末辞典 - 寺社奉行