検索
- 岩倉具視 -
和宮降下の件では、朝廷の権力回復の為にと、幕府と通じ、孝明天皇を動かし、強引に実現させたが尊攘派を激怒させることとなり、辞官・剃髪のうえ、郊外の岩倉に蟄居となった。(文久2年〜慶応3年の約5年間続いた。)その間にも密かに政治活動を起こし、特に薩摩の急進派と接するようになり、三条実美とも提携し、倒幕思想を固めていった。
- 三条実美 - 三条実美
- 七卿落ち -
1863年8月18日の政変で公武合体派に敗れて失脚した、尊攘急進派の公卿三条実美(さねとみ)・三条西季知(すえとも)・四条隆謌(たかうた)・東久世道禧(みちとみ)・壬生基修(みぶもとなが)・錦小路頼徳(よりのり)・沢宣嘉(のぶよし)が、京都を脱出して長州藩へ逃れた事件。翌年、再挙を図って「蛤(はまぐり)御門の変」が起こった。
- 八一八政変 -
1863年8月18日の政変で公武合体派に敗れて失脚した、尊攘急進派の公卿三条実美(さねとみ)・三条西季知(すえとも)・四条隆謌(たかうた)・東久世道禧(みちとみ)・壬生基修(みぶもとなが)・錦小路頼徳(よりのり)・沢宣嘉(のぶよし)が、京都を脱出して長州藩へ逃れた事件。翌年、再挙を図って「蛤(はまぐり)御門の変」が起こった。
- 幕末辞典 -
三条実美