トップ 一覧 検索 ヘルプ RSS ログイン

検索

キーワード AND OR
  • 王陽明 - 王陽明
  • 王陽明 抜本塞源論とは - 王陽明 抜本塞源論とは
  • 王陽明、少年時代 - 王陽明、少年時代
  • 新書漢文大系(22)〔新版〕伝習録 - 『伝習録』は近世最大の思想家、王陽明の言行録であり、陽明学の本質を著した基本書である。王陽明は、明の儒学を代表する人物で、心即理(心と道理は一つのものであること)・知行合一(知識と行いは一つのものであり、それによって道理に適うこと)・致良知(良知は人が生まれながらに持っている完全なもので、これを発揮すればすべての道理に適うこと)を唱えて空論を排除し徹底的実践を説いた。本書はそのエッセンスをまとめたものである。
  • 真説「伝習録」入門 - 「伝習録」―それは中国・明の時代に王陽明が遺した実践哲学。大混乱の時代を乗り越えた西郷隆盛・中江藤樹・大塩平八郎らの、問題解決の玉手箱!日本人よ、勇気を取り戻せ!困難を楽しむ、一発大逆転の法則。
  • 知行合一を悟る - 王陽明の戦いとはまさに自分自身との戦いであった。いかにして私利私欲を捨て人のため生きることができるのか?陽明はひたすらそれを追い求めた。そして49の時一つのゴールにたどり着きた。
  • 致良知を悟る - 1520年、王陽明49才の時、ついに「良知=良心」が学問の大本領であることを悟り「致良知説」を唱えるに至った。38才で知行合一論にたどり着いた陽明だったが、陽明学のもう一つの柱「致良知」にたどり着くにはさらに10年という月日を必要とした。
  • 中江藤樹 - (1608-1648) 江戸初期の儒者。近江の人。名は原、字(あざな)は惟命(これなが)、通称与右衛門。伊予国大洲藩に仕えたが、のち帰郷。初め朱子学を信奉、孝の徳目を重んじ「翁問答」を著す。晩年、王陽明の著書に接し、我が国陽明学の祖となる。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称された。門下に熊沢蕃山がいる。
  • 中国思想関連本 - 心中の賊を破るは難し。伝習録を読まずして王陽明の思想を知ることはできない。この書の理解のために、往年の陽明学の泰斗が身近に親しみ易く語った名著の復刻。
  • 伝習録 - 王陽明の語録および書簡集。三巻。1518年に門人の徐愛らが編集刊行。56年に銭徳洪が増補。陽明学の大綱をうかがうことができる。
  • 伝習録講話 - 心中の賊を破るは難し。伝習録を読まずして王陽明の思想を知ることはできない。この書の理解のために、往年の陽明学の泰斗が身近に親しみ易く語った名著の復刻。
  • 日本の陽明学者 - (1608-1648) 江戸初期の儒者。近江の人。名は原、字(あざな)は惟命(これなが)、通称与右衛門。伊予国大洲藩に仕えたが、のち帰郷。初め朱子学を信奉、孝の徳目を重んじ「翁問答」を著す。晩年、王陽明の著書に接し、我が国陽明学の祖となる。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称された。門下に熊沢蕃山がいる。
  • 方谷の陽明学 - 方谷が江戸の佐藤一斎蟄で当時の俊英達と切礒琢磨していたころ、学友違が王陽明の学説に口を借りていたずらに雄弁をふるって人を圧倒するのが見られたが、しかし細かにその人物を観祭すると、高慢不遜で人間の道をわきまえた者が少ない。方谷はこれは陽明学の学び方が間違っているのであると言っている。
  • 幕末辞典 - 王陽明
  • 陽明の希望と挫折 - 王陽明という人物は客観的に見ると単純で情熱的な性格といった印象で、彼の20代は、ひたすら「聖人」となり国と民を救うことに人生を費やしてきた燃える若者だった。試行錯誤と挫折を繰り返し、理想と現実のギャップに悩む熱血青年にとって、大きな転機となったのが「竜場(りゅうじょう)」への流罪だった。
  • 陽明学 - 中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視した。心が理であるという心即理(しんそくり)、生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。王学。
  • 陽明学とはどんな物? - 陽明学(ようめいがく)とは、中国の明時代に、王陽明がおこした学問で儒教の一派。心即理、知行合一、致良知の言葉に思想が凝縮されている。