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厳子陵の変更点

+厳子陵
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+厳子陵…後漢、余桃の人。
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+厳光。後漢を興した光武帝がまだ書生だった頃、一緒に学んだが、光武帝が即位すると去って身を隠した。光武帝は重く用いようと、国中を探して、釣りをしていた厳子陵ようやく見つけ出したが、招聘に応ずることはなかった。
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+余説。光武帝は厳子陵を都へ迎え昔話をし、その夜は床を並べて寝たが、寝相の悪い厳子陵は夜中に足を光武帝の腹の上にのせたという。夜が明けると、天文の役人があわてて宮殿へ来て、「昨夜、客星がにわかに帝座を侵しました」と報告した。光武帝はそれを聞いて大いに笑ったという。